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劉邦(漢の高祖)と劉秀(後漢の光武帝)はどちらが優れていたか? [中国史(漢)]

昨年末に『呉漢 著:宮城谷昌光」を読んでいて、「我は漢の草創の名将たる曹参に及ばず、主(劉秀)は高祖である劉邦に及ばない。しかし、戦は相対的なものである(相手は項羽のような猛将はいない)ので、臣も主もそれぞれ曹参と高祖である劉邦に及ばずとも良い」という記載があり、引っ掛かりを感じていました。

なにせ、劉秀は中国人が選ぶ最も優秀な歴代皇帝のトップ5に必ず入るという名君だからです。また、一度滅亡した王朝を復興させたのは長い中国史の中で劉秀だけです。
(余談ですが、田中芳樹氏の著作では上記のトップ5には、他に唐の太宗、明の洪武帝、宋の太祖、清の雍正帝が選ばれることが多いそうです)

この引っ掛かりを解消するために、正月休み中に「劉邦 著:宮城谷昌光」を読みながら考えておりましたが、一定の結論が自分の中でまとまったのでBlogに書きたいと思います。

1.戦巧者はどちらか?
こちらは、劉秀でしょう。
劉秀の有名な戦いで昆陽の戦いがあります。大まかに言うと、漢を簒奪した王莽の100万と号する(戦闘兵42万、残りは輸送兵)軍を、夜陰に乗じ僅か13騎で昆陽城を脱出、近県3千の兵を集め、撃破した戦いです。
それに比べて劉邦の指揮する軍隊は強くありません。項羽や秦の正規軍のみならず、反乱を起こした雍歯を独力で、鎮圧できず項羽の叔父の援軍を得てようやく鎮圧できるぐらいです。
また、天下人になった後も反乱を起こした英布の反乱時に手間取り、その時に受けた矢傷をもとに亡くなっています。

2.内治に優れていたのはどちらか?
こちらも、劉秀でしょう。
劉秀は、例えば戦乱で疲弊した国を奴卑の解放や租税の軽減、軍士の帰農といった政策により王朝の基礎となる人民の生活の安定を図る一方、統治機構を整備して支配を確立しました。
他方、劉氏の独裁権確立といった違った見方ができるかもしれませんが、自らの猜疑心により、韓信・彭越・英布・韓王信・陳豨・盧綰といった武将を反乱誘発・粛正して、国力を疲弊させています。
その結果、劉邦は少数の兵とともに白登山で冒頓単于に包囲されるという事態に陥り、劉邦と冒頓単于は匈奴を兄・漢を弟として毎年貢物を送るという屈辱的な結ばざるを得ませんでした。

3.人材の育成・抜擢に優れていたのはどちらか?
こちらは、劉邦でしょう。
劉邦軍の主だった武将、曹参は獄吏・樊噲は肉屋・韓信は項羽軍から転向した衛兵などなどで、まともな教養がありそうなのは、旧韓の宰相の一族である張良ぐらいです。
このなかから、優秀な将軍や参謀を抜擢・運用したのは奇跡的だと思われます。項羽軍は旧楚の貴族であるだけに、ある程度の軍事経験や教養があるだけに最終的に劉邦が勝利したのが不思議なくらいです。
他方、劉秀の軍の代表的な将軍である鄧禹は都に留学経験のある名門豪族の秀才、呉漢は幽州あたりのたたき上げの軍人、馮異は軍の主簿(軍の経理担当)などある程度、身近で使えそうな人材を運用しており、
また、劉秀自身が1.で述べたような稀代の名将であるので、彼の軍が強かったのはある程度理屈が通っています。
劉秀は良くも悪くも、その配下で清濁を併せのむという人生運用にはいたらず、どちらかという優等生の集団のようなイメージを受けます。

◇感想
劉邦と韓信の有名な挿話で、劉邦を評して「陛下は兵を率いることができなくても、将に対して将であることができます(将に将たり)。これは天授のものであって、人力のものではありません」と答えた
という気宇の壮大さあるいは、いい意味での野放図さ。
賄賂を受け取り、兄嫁と姦淫したという悪評のある陳平や股くぐりの悪評のある韓信や盗賊の頭である彭越などを適用するという清濁併せのむ人材運用。
粛正は行うが、ギリギリのキーパーソン(蕭何・張良・曹参)は粛正しないというという人物の怪奇複雑さ。
ここら辺が、劉邦の途方もない器量を示しているのだと思います。

余談ですが、日本史で劉邦の複雑さ・深みに近いのは「太平記」の足利尊氏と「西郷どん」の西郷隆盛だと個人的に感じております。
こちらは、後日まとまったら記事を作成する予定ですので、お楽しみに!?


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