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信長の野望と小説(16) [歴史小説とゲーム]

正月から年始にかけて、「戦国はるかなれど~堀尾吉晴の生涯~ 著:中村彰彦」を読んでおりました。
堀尾吉晴といっても、すぐに分かる人は余程の戦国好き以外は分からないかもしれませんが、
豊臣家の三中老のひとり、もしくは天守が国宝指定されている松江城を築城した人物ということで
あれば、多少は印象に残っているかと思います。

◆同著を読んで描かれた堀尾吉晴の読後の印象
出世の極意は、果敢と細部への注意にあり。
交渉の極意は、用心と畏敬にあり。
守成の極意は、人脈と人和にあり。

1.出世の極意は、果敢と細部への注意にあり。
信長からは「堀尾は毎度のこと」,秀吉からは「仏の茂助ではなく鬼の茂助」と言われるほどの勇将です。
ちなみに、「堀尾は毎度のこと」とは堀尾が兜首を取って来ることは毎度のことだから、兜首の主を調べることは不要ということです。
それだけの彼の武勇に信頼を持たれております。
また、彼は作中で13匁(20.48mm)、20匁(23.58mm)、30匁(26.99mm)の鉄砲を順繰りに使用させて
、火縄銃の鉄砲過多使用による煤詰まりが原因である暴発事故を防いでおりました。
暴発事故の改善を秀吉から指示された際に、30匁が最も煤詰まりが少ないということを鉄砲頭からヒアリングしたことから、
着想を得たものです。調整上手の「仏の茂助」の面目躍如です。しかし、やっていることは、鉄砲の連射ですから「鬼の茂助」です。
彼は小牧・長久手のしっぱらい(殿軍)を行うなどの致死率の高い任務を引き受けることが多く、やはり「鬼の茂助」ですね。

2.交渉の極意は、用心と畏敬にあり。
堀尾吉晴は城の受け取りや検死等の地味だけど、重要な任務を任せられています。
特に、鳥取城の餓え殺し後の城の受け取りの貢が白眉です。
同役の古参武士が兵糧攻め後の鳥取城に入るのを嫌がる中、悠然と入ってゆき、かつ吉川経家を始めとする敵方の武士への畏敬
は失わないが、まじかで切腹する様を検分することを毛利方から勧められるも縁側から(すぐ動けるように)姿勢を正しつつ
死にゆく武士への畏敬を失わない様。城を受け取りの際に、降伏した敵へ粥を振る舞う、城を清めるまでが仕事であるという
様全てが見事です。

3.守成の極意は、人脈と人和にあり。
彼は、関ヶ原前夜に徳川家と前田家の間を取り持ち、家康をして「天下静謐となりしは、堀尾殿の功と存ずる」と言わしめました。
徳川には、井伊を中心とした重臣層への根回し、前田には共に古参の織田家・豊臣家として仕えた誼という人脈・コネを
総動員して仲裁に努めました。結果、当時京洛や北陸付近で発生しそうだった大規模な武力衝突や難民の発生を防いでいます。
これは彼なりの経験・人脈・信頼があったからでしょう。
その後、関ヶ原の役の際には次男の堀尾忠氏を家康方に従軍させ、戦後に出雲松江24万石の大封を得ております。
(そこら辺は、抜け目ないですね!!)
今で言えば、人脈の太いバイプレイヤーという存在でしょうか?

また、隣国の中村氏が紛争を起こし、関ヶ原の直後に改易されたのに比べ、堀尾家では出雲の寺社の復興に努めたり、
地域の代表である父老との融和をはかるなど、藩政の充実に努めております。
継嗣の忠氏が早世したため、孫の養育にあたりながら、藩政をまわしていた姿には畏敬を覚えざるを得ません。
慶長16年(1611年)6月17日に死去した。享年69歳。

組織を安定的に動かしていくためには、いぶし銀のような彼のような存在が、時に名将や軍師よりも必用な時があると考えます。
(豊臣家秀吉没後の動乱や幕末の内乱直後の東北諸藩の結末を考えるとそう思わざるを得ません。)

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戦国はるかなれど(下)~堀尾吉晴の生涯~

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余話として、信長の野望-大志-での評価
統率63 武勇58 知略67 内政75 外政72
 評価、低すぎませんか!?コーエーテクモ社の担当さん!!

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信長の野望と小説(15) [歴史小説とゲーム]

「あるじは家康 著:岩井三四二」を読んで再確認したのですが、いわゆる戦国の三傑の中で、親しまれかつ最も嫌われているものは徳川家康でしょう。
それはあらゆる意味で家康が最も現代の(日本人らしい)人間臭い人間だったからではないでしょうか?

抽象的に例えると、イメージ的には利己的な心配性の知性的な人物、常務級の人物という感じです。
ただし、ひどく好奇心旺盛であることも要チェックです。

1.利己的な面(粗忽者-石川数正の章より)
作中で、駿河今川氏の人質時代に鷹狩用の小鷹をなくした側近に素知らぬ体で接しつつ、ふとした拍子に「あの鷹はまだ見つからぬか」と意地悪く問いただす、また寺社での放鷹しようとしても「方便」で済ませようとしたが、さすがに住職に方便は効かず折檻されると、素直に謝罪する。
さすが、家康、子供のころからマセていた(笑)

2.心配性(勇者-蜂屋半之丞の章より)
三河一向一揆の背後に、他の三河国人衆や今川氏の策謀が動いていると疑い、形勢不利という事情があるにも関わらず、譜代の家臣をなかなか帰参を認められない。バックボーンを見れば、戦うことだけに特化した三河武士は、所詮徳川(当時は松平に帰参するしかないと分かるはず)にしか居場所がない。
最後は、終始一貫、唯一家まとまって家康を指示した大久保党の長老である常源の進言を容れて、有名な「僧俗、寺社とも前々の如くあい許し(元々の如くというのがポイント。元々っていつまで遡るってこと)」という決着になるわけです。

3.現代の(裏切者-奥平九八郎の章より)
長篠の戦の直前の時代、家康は経理全般を大岡弥八郎という中間から抜擢した人物に任せていましたが、些細な出来事が契機となり、不正経理と武田氏への内通が発覚して、一族郎党皆殺しの上、本人は最後に鋸引きで殺されるという仕置きをうけることになります。それも、妻子の磔の場面を見させてから殺すという徹底ぶり。戦時中という事情があるにせよ。余程のことです。
事実、長篠の戦の勝利に貢献し、加増を受けた奥平も国境の国人衆(ある程度他勢力への寝返りも黙認されていた)からも慄然とされています。曰く、「大岡と奥平の違いは主をたまたま家康に選んでいたという運だけである」

個人的にですが、駅で電車の遅れに詰め寄り、暴言を吐くサラリーマンやご近所トラブルの加害者側を想起するのです。

4.常務級(有徳者-茶屋四郎次郎および親族者-松平家忠の章より)
前者がいわゆる神君伊賀越えのころに、摂津堺から三河まで本能寺の変による混乱を避けて、三河に帰還する際に活躍した初代茶屋四郎次郎の話です。茶屋は明智方や京洛中の情報収集や帰路の山城・伊賀・伊勢方面の豪族の懐柔に活躍し、いわゆる神君伊賀越えという九死に一生を得る万世の功を立てることになるのですが、領地を与え、名実ともに士分に取り立てるいう茶屋の希望には気づきながらも「これからも御用商人として京で頑張ってね」と譜代との格差を恩賞にハッキリ示しました。基本的に信用するのは三河以来の譜代家臣のみという姿勢が見て取れます。
商人とかでも”将”という資質を秘めた人はいたのに。(織田家の木下秀吉や宇喜多家の小西行長等が例示ですね)

後者が関ヶ原の際の「伏見城の落城」の城将で知る人ぞしる松平家忠です。彼は松平の名が示す通り家康の親族衆ですが、初期を除いて、留守居や普請等の後方任務につくことが多く、尊重されども加増の機会に恵まれないまま晩年にいたります。
ようやく、茶・能などの数寄に喜びを見出そうとしたころ、関ヶ原の役の直前に、石田による西軍蜂起の際に最も危険な要衝である伏見城に「決して裏切らない、されども政戦でこれからの活躍が見込めない信用ある人物」として捨て石にされる訳です。

個人的には、捨て石の役割に親族を使うというのは凡手でかつ怜悧な印象が残り、嫌です。
どうせなら、厄介な島津・長曾我部あたりの外様と譜代の臣を幾人か入れとけば、もうちょっと籠城できたのに・・・と感じます。なんといえども、捨てられる前提の城なんて嫌なんです。

ここら辺が、仕事はできるけれども料簡がセコイて代表取締役にはなれない常務~役員あたりの人物だと思う所以です。

5.ひどく好奇心旺盛(異国者-ウィリアス・アダムスの章より)
家康はあまり知られておりませんが、文武百般のみならず医学の他に数学を好んでいました。
眼鏡を愛用し、嬉々として体積の数学問題を解いている描写が描かれています。
実際、家康の遺品に地球儀や眼鏡や時計等の西洋の文物が多く含まれることは博物館等の展示品等をみても分かります
また、海・冒険を愛し、厚遇されようとも帰郷を望むウィリアス・アダムス(三浦按針)をわが身の富貴権勢と比しても
羨む描写があります。文武百般以上の好機心を示していた家康なら、さもありなんという印象。

6.人間らしい(忠義者-大久保忠隣の章より)
この本のミソになりますので、詳述は避けますが、晩年の家康がなぜ「律儀者」の仮面をかなぐり捨てて、豊臣家の滅失に拘ったか?なぜ、三河一向一揆でも終始自分を支援した大久保党の代表たる大久保忠隣を晩年に無辜に切り捨てたのか?
そこに、剥き出しの家康という人物の個性が見て取れる気がします。
俗に、「犬のように忠実」と司馬遼太郎の小説でも表現される三河武士が晩年に至って神君をどのように観ていたのか・・という点でも非常に興味深いです。

◆総論
個人的に「天下餅座りしママに食べるは徳川」という表現に多くの過誤があることが、岩井氏の小説を読むことにより、
ハッキリしました。家康ほど、創業と守成を意識して実践し、かつ好奇心旺盛な天下人は世界史上でも稀だと思います。
家康を研究することが、我々の社会の成り立ちや在り方を振り返りをする上で、非常に有意義だと思います。
〇文庫本はこちら↓



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◆信長の野望-大志-では
欣求浄土、そして成長すると天下泰平というともに強力な特性を持っており、チート級の強さです。
欣求浄土:三河武士(大名と決戦に出た四天王の戦闘力上昇、決戦で部隊の防御力が上がる、潰走した部隊の復帰が早い)
     織徳同盟(同盟勢力との交渉が有利になる、連合軍による決戦で部隊の戦闘力が上がる、同盟勢力が実行した方策の必要施策力減少)
天下泰平:徳川四天王(決戦に出た大名と四天王の戦闘力上昇、決戦で部隊の防御力が上がる、大名自ら出陣すると部隊の士気が上がる)
     旧領統治(滅亡させた勢力の方策を獲得、灌漑の効果が上がる、勢力の民忠が上がる)

つまり、一言でいうと序盤の弱小時代でも、中・終盤でも戦争・内政に凄く強すぎるということです。多少の兵力差では相手になりません!!凄く硬い粘り強いという形容詞。


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信長の野望と小説(14) [歴史小説とゲーム]

伊達の”先陣”に「勇」の伊達成実あり。
ちなみに、伊達家の「智」は片倉小十郎景綱、伊達家の「治」は鬼庭(茂庭)綱元が担っており、俗に伊達の三傑と言われます。
「伊達成実 秀吉、家康、景勝が欲した奥羽の猛将 著 近衛龍春」では、「勇」の伊達成実を主人公として伊達家がいかに戦国時代を生き残ったかを描いています。
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◇1.”先陣”の条件とは
先陣の条件とは、何でしょうか?僕が思うに以下の3条件を最低でも満たしている武将ではないかと思います。
(1)忠義に厚いこと 先陣は勲功を立てることも可能ですが、当たり前ですが戦死率が他の舞台に比して格段に高いからです。忠義に厚くなければとても務まりません。
(2)勇猛であること 例えば、中国の「孫子」等には、軍隊に最も必要なものは、”勢”であると述べられています。分かりやすく言うと、攻撃力あるいはムードメーカー。
(3)臨機応変に対応できること 大体の場合、大将は中央にいるものであるので、どうしても前線との情報差が生じます。臨機応変に変わる現場に、ただの指示待ちは務まりません。また、芦名氏をはじめ敵大名家の有力家臣を調略していることも見過ごせません。

伊達成実は、まさに3条件を満たした代表格でしょう。
(1)でいえば伊達家一門の筆頭格の家柄であり、かつ主君の政宗と子供時代にともに虎哉宗乙禅師の薫陶を得ています。絆は固し。
(2)天流という薙刀の一派の免許皆伝という個人的な武勇に加え、右手が火傷により指が癒着しているというハンデを克己して戦場に立ち続ける心。
(3)たとえば、人取橋の戦いでは殿をつとめ、全軍の壊滅を防ぎ、摺上原の戦いでは、側面攻撃を行い序盤の劣勢を覆す。
他の大名家でいえば、徳川の酒井忠次(後に井伊直政)、織田の柴田勝家(もしくは佐久間信盛)、島津の島津家久でしょうか。

◇2.伊達政宗が天下を取れなかった原因を見た
東北地方での大小での戦および豊臣秀吉の朝鮮出兵でもいかんなく、その「勇」の成実は名を轟かせていることから、成実の力は確たるものがあり、政宗の指揮も見事です。
ただし、他の伊達家の三傑を含め、政宗は十全に使いこなしたとは言えないでしょう。
その証左に片倉小十郎景綱を除く、「勇」の伊達成実と「治」の鬼庭(茂庭)綱元が政宗の猜疑・配慮不足が原因で一度出奔しているからです。
後に、両名とも関ヶ原の戦いの前後に帰参していますが・・・
家康、秀吉あるいは短気で有名の信長ですら、勢力が十分に固まっていないうちには、このようなことがなかったことを考えると、このあたりが政宗が天下をとれなかった原因ではないでしょうか?
しかし、帰参しているところを見ると、政宗には何とも言えない魅力があったとも言えますね。(多分、徳ではなく愛嬌の類いでしょうが・・・)

◇3.本書を読んでみての感想
本書で、残念だったのは成実が出奔したのちに、伊達成実の家臣団の一部が殺された「角田征伐」取り上げ方が2ページほどしかなく、内容が薄かったことが挙げられます。
歴史好きとしては名将同士の近親憎悪をもっと描いてほしかった。(黒い部分もないと人物描写に厚みが持てない)
著者は、他に生涯の盟友の片倉小十郎景綱やライバルの佐竹義重・義宣の著作も書いているのでそちらもお勧めしたいです。同一の出来事(例.人取橋の戦)でも主人公が変わると、解釈・描写が異なってくるので、併読すると面白いです。











◇4.信長の野望での伊達の三傑の能力は(信長の野望-創造-より)
伊達成実 統率:84 武勇:91 知略:68 政治:55
片倉小十郎景綱 統率:87 武勇:77 知略:92 政治:86
鬼庭綱元 統率:66 武勇:75 知略:66 政治:69
 雑感としては、綱元の評価が若干低すぎるような気がします。

◇5.結びに
伊達政宗と、伊達成実の辞世の句を紹介したいと思います。両者の人生観が見れて面白いです。
 伊達政宗の辞世の句「曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」
 伊達成実の辞世の句「いにしえも 稀なる年に 九つの 余るも夢の うちにぞありける」

〇補足 
今後、購入を検討している伊達成実関連本




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タグ:伊達成実
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信長の野望と小説(13) [歴史小説とゲーム]

織田信長ははたして、どんな人物だったのでしょうか?
山岡壮八は、激情を秘めた英雄であり、尊王の志を有する英雄。
司馬遼太郎は、合理主義者でかつ独特の美意識を有している芸術家。
として、描いています。




しかし、私の印象では、いわゆる戦国時代の三英傑の中で、織田信長の人物像はひどく分かりにくいです。

「あるじは信長 著:岩井三四二」では、信長という人物を、近習(後の佐々成政)、津島社の神主、祐筆、武将、同朋衆(お世話係)、御小人(相撲取り)、近習、旗本(旧浅井家家臣。秀吉により調略)という様々な立場の人物の目を通して、描いています。



結論からいうと、結局筆者は「うつけで候」とさじを投げて、信長周辺の人物の描写を中心に物語を描くことに力点を置いています。
それにより、戦国の時代を終わらせるためのエネルギー体としての、信長という偶像を描写しているのではないかと感じました。

近習の佐々成政からは、武将とはかくありたいと思わせる「頼うだる方」であり、戦国のパイオニア。
印象的だった箇所:-そのとき不意に、信長が父信秀の葬式で抹香をつかみ投げた姿が思い浮かんだ。衝撃的な姿だったが、その意味が今ようやくわかった。信長は抹香を投げつけて亡き父を否定したのだ。しかも父だけではない。信長は、兄弟であっても逆らう者は打ち倒した。
凡人にできないことを、信長はいとも軽々とやってのけた。だからこそあの若さで尾張一国を支配していられるのだ。
 コメント:さすが、信長様。人にできないことを平然とやってのける。そこに憧れる。痺れる。
    
浪費壁のある津島牛頭天王社の神主からは、戦好きだが、羽振りのよい産子。ただし、このごろは・・・
印象的だった箇所:-言葉もなかった。神仏の祟りなど、何とも思っていないというのか。そういえば、岐阜へ来てからやたら祈祷を頼まれるので不思議に思っていた。このせいか。みな比叡山を焼き討ちすると知って、仏ならぬ神に頼ろうとしたのか。「さような上様ゆえ、いくら産土神であろうと、容赦はなさらぬと思いますな」-
 コメント:人々はどの時代でも神仏に心の安定を願うもの。信長はその秩序すら揺らすもの。

祐筆・武将からは、怖しい上司。しかし、各々期待する役割を果たすのであれば、抜擢する名君(逆に言えば、果たさなければ不要。家臣からは暴君)
印象的だった箇所:-「わざわざ窮屈な長袴に烏帽子なんどをきるのは、何のためと思うておる。今日を抑えるためじゃろうが。うるさい公家どもを黙らせる薬を効かせようと思うたに、そなた、わがもくろみを台無しにするつもりか!」・・などと言い訳をすれば、怒りの火に油を注ぐことになるのは必定だった。長諳としてはただ頭を下げるしかなかった。
印象的だった箇所:「-加勢をお願いするのはな、こちらの首が胴からはなれたときよ。さような覚悟でのうて、なんで一国が宰領できるものか」-
印象的だった箇所:「今の旦那さまは、お幸せじゃ。穏やかな顔をしてござる。加賀におられたころとは、まるで飢えたオオカミと腹のふくれた飼い犬ほどのちがいがございますぞ」-ま、これが似合いかのう。
 コメント:ブラック企業の原型ここにアリ。人生万事塞翁が馬ですな。


同朋衆(お世話係)からは、わがままな主人。自分は四六時中命令を待っている持ち物に過ぎない。
印象的だった箇所:たかだか自分の言いつけを守らなかったというだけで、何と傲慢で理不尽な仕打ちなのか、ひどすぎる。あまりにひどすぎる・・・。恐怖は消えて、熱い火が腹の底に熾ってきた。もう主人も家来もなかった。
 コメント:キーワードは、埃。誇り。不意に人生に現れる機微に人はどう処するべきか。副題が官能的!!

相撲取りからは、派手好みで、目立つことならばなんでも良い主人。
印象的だった箇所:「おこう、そなたはやはり菩薩様じゃ」と呼びかけると、瞼の裏でおこうがにっこりと微笑んだ。」
 コメント:いつの時代でも女性は強し。塞翁が馬もお見通し。

近習(注)からは、図抜けた能力を見せるが、”たわけ”な主人。
印象的だった箇所:「道三どの、あの世よりご覧じろ。信長はたわけじゃというわしの見立てのほうが、ただしかったではござらぬか」だが、道三を恨むわけにはいかない。信長をあるじに選んだのは、自分なのだ。
 コメント:案外、うつけを演じた尾張統一前の信長こそ、信長の本性かも。
(注)近習の名は、猪子兵助(注:正徳寺の会見に斉藤道三の家臣として立会った。最後は、本能寺の変で討ち死)


旗本(旧浅井家家臣)からは、”災い”をもたらす存在そのもの。
印象的だった箇所:そうだ、信長さえ現れなかったら、みなのどかに暮らしていられたはずだ。災いをもたらしたのは信長だ。恨むなら信長を恨んでくれ。なにもかも破壊され、振り回されたのはこちらもおなじだ。
 コメント:中世の戦国時代に生まれていて、彼よりもうまくいき抜く自信なんてないです・・・


◇締めとして あるいは、”信長”という存在は、一個の人格ではなく、時代の変革期に生まれた彗星のようなものではなかった。そう読後に感じました。

■追記 このBLOGでおススメしております信長の野望シリーズ最新作「信長の野望 大志」ですが、週間ファミ通のレビューで40点満点中、36点でプラチナ評価されました。携帯ゲーム全盛の時代にこれは快挙です。 率直に、小躍りしたいくらいうれしいです。 みなさんも、これを期に戦国時代を追体験してはいかがでしょうか? 発売もとのコーエーテクモゲームス社のサイトでは、デモ版(WindowsPC環境のみ)およびPV「商業編」、「農業編」が公開されていますので、購入時にはぜひ参考にしてください。 デモ版は、以下のURLより http://www.gamecity.ne.jp/taishi/demo.html PV「商業編」、「農業編」は、以下のURLより http://www.gamecity.ne.jp/taishi/gallery_01.html

タグ:織田信長
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信長の野望と小説(12) [歴史小説とゲーム]

先日、旅先に行く途中に前々から気になっていた「宇喜多の捨て嫁 著:木下 昌輝」を新幹線の中で読みました。感想としては、人間描写が巧みで、宇喜多直家やその娘、妻、母を中心となる人物群が
巧みに描かれていて、ストーリーはミステリー仕立てになっており、親しみやすい佳作という印象です。

本書は高校生直木賞を受賞しており、それにも首肯できる素晴らしい作品です。
最終章に全ての伏線を回収している点は圧巻の一言に尽きる。 断言します。腹裂きの姥と通称されている流民の真実を知った時、あなたは涙します。

個人的には、同賞の選考委員が発言していた「グロテスク」という点も全然、気に ならなかった。(むしろ、現実のワイドショーの描写の方がきつい様に思いますよ!?)
しかし、残念だった点もいくつかあったので、ご紹介します。
◇残念だった点
1.表現が過剰すぎる。
コメント:作中の重要なキーワードに、「無想の抜刀術」というものがあるが、それに光武帝、曹操そして信長を絡めてくる必然性がない。また、なんで都合よく分岐点にキーパーソンが立ち会うのでしょうか?
2.全般的に戦争・外交の描写が極端に割愛されている。
コメント:デビュー作だからかもしれないが、足ではなく、資料に準拠して頭で書いた作品であるような印象を感じる。歴史小説の描写で描くのが難しいのは戦の描写だと個人的に思う。また、直家や同重臣等の書簡を読み込んだのか疑問に思う。
3.ミステリー仕立ての親しみやすい作品であるがゆえ、戦国時代を描く必然性を感じない。
コメント:歴史小説としての必然性を感じない。むしろ、現代小説の企業ものとして描いた方が面白いと感じる。

残念だった点を引き算しても、著者の筆力には驚きを感じざるを得ない。 木下氏が今後、どのような作品を発表してゆくか期待をもって見守りたい。




◇締めとして
11月30日発売の信長の野望では、宇喜多直家が梟雄として描かれるのか、英雄としてえがかれるのか興味深い。発売日が待ち遠しい。

タグ:宇喜多直家
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信長の野望と小説(11) [歴史小説とゲーム]

このところ仕事が忙しく、昼食になると急いで社食に行くと、
月見うどんの大盛に、ほうれん草をのっけたものを、かきこむように食べることが日常になっています。(あ、日によってはかき揚げをプラスしてちょっとリッチな気分になっています)

そんな日常を重ねていると、日本一の出世男、豊臣秀吉の出世にまつわる有名な言葉「早飯大食い憂いことなし」というものが脳裏をよぎり、「俺、今秀吉っぽいな」とドヤ顔のナルシズムに浸っている瞬間があります。決して危ない人ではありませんからご安心を(笑)

でも、そのドヤ顔男も「”あるじは秀吉”収録、加藤虎之助は秀吉に侍奉公の勘どころを見た 著:岩井三四二」の一説を読み、猛反省しきりです。





なにげない、ねねの方(秀吉の奥様、高台院)と秀吉のやりとりより。

巨体をかがめて誉め言葉をうける虎之助の前で、秀吉は茄子の塩漬けを口にほうり込んだ。
「あとで褒美をとらせるでよ。楽しみにしとりゃあせ。いやあ、今日は飯がうみゃであかんわ」
そういって椀を手にすると、飯を口いっぱいにかき込んだ。
「あんまり急いで食べると、腹ごなれがようないよ」
となりにすわったねねがのんびりと言う。
「なにをとろくせうことを。飯をゆるゆると食っておいてはいくさに勝てやせんわい。早飯大食いがいくさに勝つ秘訣よ。
お虎も覚えておけ」意地になったように飯椀に汁椀の味噌汁をぶちあげ、口をつけてずず、ずずと音をたててすする。
「行儀がようないねえ」ねねが顔をしかめる。-なるほど大欲か。

このやりとりに、岩井氏の秀吉観、ねね観を見た気がします。
1.秀吉が天下を統一した要因、人の欲に大飯を食わせ、充足させ、従わせる(剛ではなく柔)
 コメント:もしかすると、黄金の茶室もこんな感じで作ったんじゃないの!?秀吉様

2.秀吉がさらなる欲を満たすために行った慶長・文禄の朝鮮出兵の発露、その結末。
 コメント:欲も過ぎると、身を亡ぼすの実証。これがなければ、豊臣政権が続いたかも。

3.「あんまり急いで食べると、腹ごなれがようないよ」から「行儀がようないねえ」ねねが顔をしかめる。につづく、ねねのおっととした言葉の奥に潜む、日常から非日常への入り口
 コメント:後世の我々は、秀吉晩年の狂騒と破滅。そして、関ヶ原・大阪の陣に至るまでの、ねねの影響力の大きさを知っています。なにより彼女が秀吉の一番の理解者であり、批判者だったのでしょう。ねね怖いよ。まじ怖い。良妻ほど敵に回すと恐ろしい・・・

そんなこんなで、僕的には今日は普通盛りでもよかったんじゃないかと、反省しております。ハイ。

◇まとめ
過ぎたるは、及ばざるがごとし。腹八文目の健康な生活を心がけましょう。
また、奥様、彼女は大事にしましょう。

そんな、自分に忠実な秀吉と怒らせると怖いねねとの、ほのぼの?戦国生活を送りたい方には、11月30日発売の「信長の野望 大志」をぜひお薦めします。今日、更新されたホームページ情報によると、秀吉の志は、「立身出世、実測検地、城取名人」とのことです。秀吉らしい秀吉ですね。











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信長の野望と小説(10) [歴史小説とゲーム]

「破天の剣 著:天野純希」を完読してから、なぜか体から熱が去りません。




結局、Blogにどのように書くか考えながら、ウォーキングしてたら、2時間を過ぎてました。
何だか心に響きすぎて、上手く書ける気がしないんです。
(帯に書店員が強力推薦と書かれているのもダテではありません!!)
それはともかくとして、書きたい小説なので本筋に戻ります。
この物語は、島津氏の中興の祖である島津日新斎から始まり、父の島津貴久、島津四兄弟(長男:義久、次男:義弘、三男:歳久、四男:家久)の戦国中~末期の島津氏を描いた物語です。
主人公は末弟の家久ですが、全体的には家族を描いた物語と言えるでしょう。
家久は、ある出生に関する謎を抱えたまま軍神と呼ばれるまで成長します。最後は、秀吉の九州征伐軍に破れ、豊臣軍と内通者による共謀により、毒殺されるという悲劇的な最期を迎えます。
しかし、この小説は悲しみも残るのですが、不思議と良い余韻が残るんです。
印象的なセリフをいくつかご紹介します。
1.「父上。家久にも、お言葉を」声をかけると、わずかにこちらへ顔を向け、小さく頷く。
「家久は、軍法戦術に妙を得たり」用兵の才が、傑出している。そう、父ははっきりと言った。近習が筆を走らせるのを確かめると、再び父が口を開いた。
「そして、紛うことなく我が血を引いた、いとしき孫である」父の目には、慈愛の色が浮かんでいる。島津家中興の英雄ではなく、幾多の合戦を勝ち抜いた
歴戦の古兵でもない。それは孫を慈しむ、当たり前の祖父の顔だった。それから二日後の一二月一三日、日新斎は眠るように息を引き取った。
 コメント:島津家中興の祖である島津日新斎、その後の家久の人生を宿命づける運命の言葉です。この言葉を読後に読み返すことをお勧めします。

2.「また、誰も俺の言うことを聞いてくれん。御屋形にも嫌われた。」
弟の目には大粒の涙が浮かんでいるのを見たからだ。「俺は戦の他にはなんの役にも立てん。俺から、生きる場所を奪わないでくれ・・・」
最後は嗚咽に変わっていた。孤独だっただろう。出自に加え、傑出した才のせいで他者の理解を得られない。軍才以外の多くを持ち合わせず、周囲に上手く溶け込むこともできない。
生きる場所が戦場にしかないなどと、悲しく思い定めるのも無理はなかった。もっと守ってやるべきだった。もっと甘えさせてやるべきだった。理屈ではない。
それが、兄の務めではなかったか。歳久は後悔とともに、「わかった」と吐き出した。「俺が、義久兄者にとりなしてやる。お前はここで待て。」
言うや、歳久は立ち上がった。弟の返事を待たず、陣屋を飛び出す。
 コメント:島津家の領土が拡大するにつれ、長兄の義久と末弟の家久の隙間は広がり続け、遂に対大友氏との戦で決定的な亀裂を迎えます。ただし、彼は一人ではありませんでした。確かに理解者はいました。すぐ上の兄である島津歳久です。

3.いつか戦が終わったら、大きな船を造りたかった。その船に葉や子供たちを乗せて、海の外に連れ出してやりたかった。その夢も叶えられそうにない。悔しいなあ。
俺の居場所は、血腥い戦場なんかじゃなかった。そのことが、やっとわかったのに。すまない。もう一度唱えて、家久は目蓋を閉じた。
 コメント:軍法の天才ここに死す。彼は最後に、毒殺された相手への憎悪ではなく、愛し愛された家族と海(夢)への思いに心巡らせ、生涯を終えたのです。

なんとなく物語の雰囲気が伝わったら幸いです。


この物語の家久は、国士無双の故事成語の語源となった中国前漢時代の英雄である韓信と被ります。
1.緻密な情報収集と天才的な閃きによる神がかりの軍略、2.どこか孤独をかかえている、3.軍事以外には無頓着である4、悲劇的な最期を迎えるなど
世間の多くは、国士無双の韓信を知っても家久を知りません。親友を自ら裏切り、主君である劉邦に謀殺された韓信と豊臣軍と内通者による共謀により、毒殺された家久
どちらが幸せだったのでしょうか?少なくとも家久は島津一族の愛に包まれて黄泉路に向かいました。




◇追記
「島津に暗君なし」と、俗に言われています。尚武の気風に溢れ、戦国・江戸初期・中期・幕末時代の変革期にそれぞれ名君を輩出したことからそう言われてるそうです。
幕末では、西郷隆盛を抜擢し、幕末一の賢君と言われた島津斉彬が有名ですね。、
要因としては、いくつか考えられます。
1.一説に源頼朝が祖先であるといわれるほどの鎌倉以来の名族であり、文化的な素養が高かったこと。
2.京の中央政界(五摂家筆頭である近衛家等)と独自のコネクションがあったこと。
3.地勢的に薩摩(鹿児島県)という中央政権の手の届きにくい僻地であったこと。
4.海に面した立地により海外の情報が入ってきやすかったこと。

歴代の信長の野望でも島津家は武将が軒並み能力が高くプレイしやすいです。しかも序盤から鉄砲の配備が活用できるのも魅力です。
僕は東北人ですが、11月30日発売の「信長の野望大志」を島津家でプレイしたくなりました。みなさんはどうですか?











結びに


タグ:島津家久
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信長の野望と小説(9) [歴史小説とゲーム]

人物の評価が時代とともに変わってくることは多々あります。
今回紹介させていただく、最上義光もその一人です。
NHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」では、陰険な策謀家として原田芳雄が好演し、永らくダーティーなイメージが付きまといました。
曰く、「羽州の狐」。伊達政宗の独眼竜とは大違いです。
しかしです、彼が上杉景勝を食い止めたおかげで結果として天下泰平の世を招いたとも言えるのです。
大部分の大名は、昨日の記事で紹介した 岩井三四二著「とまどい関ヶ原収録の”百尺竿頭に立つ”」で安国寺恵瓊が毛利輝元
を説得する時の台詞「良くて天下を、悪くても戦国に戻るだけ」という感じで関ヶ原に臨んでいました。
とまどい関ヶ原(PHP文芸文庫:著 岩井三四二)




1.並外れた武略
上杉120万石の強兵を彼は、24万石という6分の1の兵力で出羽の地に抑え込む事に成功しています。
関ヶ原は半日で決着がつきましたが、当時天下最強の強兵といえば、上杉が第一に挙げられるほどであり、慶長・文禄の役では日本にとどまり、余力十分の状態ですので、並大抵の武略ではありません。
もし、短期間に最上領を上杉が征服していたら、時世に敏感な伊達家は従属するので、関ヶ原の東軍勝利の行方も関係なく、東北に上杉氏を主軸とした戦国大名連合が割拠していた可能性も考えられるのです。そうなると、反対側の中国・九州地方もどうなっていたかは容易に想像可能です。
だから、家康もその功績を多とし、24万石から一挙に57万石に加増したのでしょう。

2.優れた先見性
天正19年(1591年)に、徳川家康が奥州九戸の乱を平定するために福島在の大森に着陣しているとき、義光が10歳になった最上家親(最上藩2代藩主)をつれて行き、「この倅をさしあげます。自分の代わりに召し使ってくだされ」と申し出た。家康は「国持ち大名の子息を家来にするとは、初めてのこと」と非常によろこんだと伝えられています。これは、秀吉が全盛の時期の出来事であり、その時点で徳川家康にほとんど臣従していたかのような先見性には驚かされる。
また、東北の大名としては異例なほど鉄砲の集団運用に着目しています。
酒田港経由で上方より大量の銃器・火薬を入手し、また堺から鉄砲鍛冶を招聘してました。
天正2年(1574年)の伊達・上山勢との戦闘や、寒河江城攻略においては集団射撃で敵を破っていますし、前述の上杉家との戦い(長谷堂城の戦い)
でも、上杉勢は最上勢の射撃に苦しめられたとの記述が多くの作家の著書に散見されます。

3.優れた内政
義光の存命中は一揆がほとんど起きなかったと言われています。義光の善政によって江戸時代には後に庄内を支配した酒井家と比較され、
「最上源五郎(最上義光)は役(年貢)をばかけぬ(軽くする) 今の殿様 雑魚・かじかこまで役かける」という唄があったそうです。
また、治水工事を積極的に推進し、北楯大堰・因幡堰などの疏水を開削して用水問題を解決して、庄内平野の開発を進め、農業生産力を大きく向上。
最上時代に築かれたこれらの疏水は、今なお庄内平野で活用され続けています。

4.優しい男
伊達家に嫁いだ妹・義姫を溺愛していたと言われ、彼女とやりとりした手紙が現在も多数残されています。
(その内容も、政治・文学などどいうものではなく、愛情を直情的に示したり、甘えた感じのものまであります。)
また、妹の哀訴により、当時四方を敵に囲まれていた政宗との戦を止めたり、停戦の仲介をしたりしています。
末の娘の駒姫が豊臣秀次事件の煽りで、惨く斬首されたときには、義光夫妻の悲嘆は激しく、悲報を聞いた義光は数日間食事を摂ることもままなりませんでした。
義光夫人もこの時、悲しみのあまり亡くなっています。

このように、近年再評価された最上義光を歴史小説で再発見してはいかがでしょうか?
北天に楽土あり 最上義光伝 (徳間文庫:著 天野純希)




さむらい道(上)最上義光表の合戦・奥の合戦(中央公論新社:著 高橋義夫)



さむらい道(下) 最上義光もうひとつの関ケ原(中央公論新社:著 高橋義夫)




最上義光 (人物文庫:著 永岡慶之助)





◇追記
最上義光は今なお山形の人々に深く愛されています。信長の野望最新作「信長の野望大志」(11月30日発売)の好きな戦国武将では堂々一位に輝いています。







信長の野望大志特別企画「地域別人気武将ランキング」はこちらから→http://www.gamecity.ne.jp/taishi/area_rank.html

◇余談
つい先日のYahooニュースの記事(河北新報より)で山形大学の一部の教授によるひどいパワハラが報じられています。
こちらから→https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171110-00000002-khks-soci

「最上源五郎(最上義光)は役をばかけぬ」と謡われた彼が地元のこの様子を見たらどう思うのでしょうか?
タグ:最上義光
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信長の野望と小説(8) [歴史小説とゲーム]

今、自分の中で関ヶ原前夜の毛利家がアツいです。キーワードは「歴史は繰り返す」です。

関ヶ原の東軍と西軍の戦力は、現在では東軍の8万8千と西軍の8万3千と東軍が若干優勢と言われていますが、これは両軍の関ヶ原の戦いの主役の石高、家康250万石対三成19万石との約13倍もの絶対的な差を考えれば、これは西軍がここまで兵力を集めることができたのは驚異的であると言えます。

この手品のネタはズバリ5大老第2位の毛利家の存在です。
いくら敏腕の三成が敏腕でも然るべき存在がなければ、一所懸命の武士の支持を得られません。
なにしろ、文禄・慶長の戦いでは武威を示し、毛利140万石ともいわれる大勢力です。
秀吉亡き後の天下を取りうる存在と目されてもおかしくないのです。

ただし、このころの毛利家の内実は、俗にいうジリ貧の「はりこの虎」なのです。
秀吉の養子戦略で毛利両川のうち、小早川家の所領は豊臣に奪われ、決定的なのはほぼ自腹で
文禄・慶長の戦いに駆り出されたことです。朝鮮半島に近い毛利家は直接的な兵力の以外にも運輸・補給面の負荷を考えると、その負担は想像に絶します。当然恨みを持つ毛利一族もいます。
しかし、いつの時代でも同じように毛利家の中でも世渡りが巧みな者は上手く立ち回り利益を得ます。
前者が吉川広家であり、後者が安国寺恵瓊です。

この時代での対豊臣政権へのアプローチの差が関ヶ原の戦いにつながります。
(反豊臣・近徳川:吉川広家、親豊臣・反徳川:安国寺恵瓊。ちなみに毛利輝元は両天秤です。)

この辺の事情は、以下の著書に興味深く描かれていますので、一読をお勧めします。
火坂雅志著「墨染の鎧」







中路啓太著「うつけの采配」








岩井三四二著「とまどい関ヶ原収録の”百尺竿頭に立つ、すべては狂言」




結果として、毛利家はご存知の通り家名は残ったものの140万石から40万石という大減俸になり、
また、その後、江戸時代を通じて仮想敵として幕府の手伝い普請など苦役を受けさせられます。
いわゆるドカ貧です。

歴史は繰り返すともいわれますが、この毛利家に戦前と戦後の日本を重ねるのは僕だけでしょうか?


◇追記
11月30日発売の信長の野望大志では、従来までのシリーズでは「知略」が外交能力を表していましたが,知略は戦いにも影響するもので,外交に強い僧などの表現が難しくなっていました。
そのため,今作では新しい能力として「外政」という概念が導入されています。
プレイヤーは、安国寺恵瓊の卓越した外政力を活用して毛利家を天下の道へ導くことができるのでしょうか?





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信長の野望と小説(7) [歴史小説とゲーム]

悪意について、みなさんはどう考えますか?
敏感すぎると周りの顔色を窺いすぎ身動きが取れなくなり、
鈍感すぎると空気を読まないやつと思われ、協同作業がとれなくなります。
戦国武将で例えると、前者の代表が小早川秀秋であり、後者の代表が今回紹介する
小説の主人公である石田三成でしょう。
今回、読んだ小説は、岩井三四二氏の「三成の不思議なる条々」です。



この小説では、敵方の武士、元味方の小姓だった人物、高台院の侍女(寧々という名称が親しみやすい)という多彩な人物に舞台回し役の商人が三成についてインタビューする形で人物像を浮き彫りに
してゆきます。
もちろん、徳川の世の大悪人である三成についての口は軽くはありません。
そこで軽妙な交渉(愛嬌まじりのおねだりで、時に権力(天海大僧正の添書)、特に
お金・金子・寸志)を発揮して聞いてゆくくだりには、爽快感を感じます。

最終的には、「関ヶ原の戦いでの正義は東軍と西軍のどちらにあったとお考えでしょうか?」
と各話の不思議なるインタビューを締めくくります。

岩井氏の結論は、同著を読んでみてください。

最終的には、このキーワードが、最終的に弘前藩のお世継ぎ争いの結末に集約されます。
個人的は、三成は友人にはいいかもしれませんが、親や上司には向いてないと思います。

◇補足:三成の評価は見直されています。信長の野望大志の部下にしたい武将ランキングでは
堂々の2位にランキングされています。
KOEIの上司・部下にしたい武将ランキング→https://www.gamecity.ne.jp/taishi/quest2.html
能力値※は、統率 70 武勇 58 知力 77 政治 95と、やはり政治に突出してます。
(※武将スチル、能力値は『信長の野望・創造』シリーズ時のもの) 
統率70は近年の再評価の証かと思います。




タグ:石田三成
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